この記事では、北海道函館市にある「弁天台場」を紹介します。

弁天台場は幕末時に欧米列強の脅威に備えるために造られた砦で、箱館戦争の時には新撰組を中心とした旧幕府脱走軍が立て籠もり、新撰組最期の地となっています。

概要

弁天台場は元々、幕末時に欧米列強の脅威に備えるために建設された不等辺六角形の台場で、1856年(安政3年)に10万両の予算をかけて着工され1864年(元治元年)に完成しています。

しかし実際に使用されたのは箱館戦争においてで、弁天台場は新撰組を中心とした旧幕府脱走軍が立て籠もりましたが、箱館市内が新政府軍によって占領され孤立。

結局、1869年(明治2年)5月15日に弁天台場は新政府軍に降伏しました。

その後弁天台場は明治30年頃に取り壊されて、当時の面影はほとんど残されておらず、現在は函館市電「函館どつく前」駅の目の前にある公園に石碑が建っているのみとなっています。

新撰組最期の地
新撰組最期の地

石碑に「撰組最期の地」と刻まれているのは、新撰組が最期に戦った場所だからでしょう。

ちなみに方歳三は弁天台場ではなく、ここより少し離れた場所にある一本木関門で戦死したとされています。

フォトギャラリー

石碑のある公園
石碑のある公園

周辺地図

弁天台場跡の住所は「北海道函館市入舟町6」で、函館市電「函館どつく前」駅の目の前になります。

Googleマップで「弁天台場跡」を検索すると少し離れた場所を示すのですが、その場所は会社の敷地になっていて入っていけません(元々その場所が本来の「弁天台場跡」だったのかもしれません)。

また付近に駐車場はないので注意して下さい。