この記事では、北海道檜山郡(ひやまぐん)厚沢部町にある「稲倉石古戦場」を紹介します。

稲倉石古戦場は、箱館戦争時に松前藩と旧幕府脱走軍との間で激しい戦闘が行われた場所です。

概要

箱館戦争での松前藩の戦闘で、最も激戦だったとも言われているのが稲倉石の戦いです。

この辺りは近くに設置されている説明板によると「北と南から断崖絶壁が迫りその峡谷(きょうこく)に山道と鶉川の急流があった」という、当時はいわば天然の要塞的な地形だったようです。

残念ながら、現在は同場所に鶉ダムが建設されているため、当時の姿を見ることはできません。

鶉ダム
鶉ダム

実際の戦闘ですが、幕府脱走軍の松岡四郎次郎が隊長を務めていた一聯隊(いちれんたい)200名余が奇襲作戦を実行、隊長の今井興之丞(いまいおきのじょう)が不在だった松前藩軍100名余も奮戦しますが、4時間余り戦ったところで松前藩軍は弾薬が無くなったため陣屋に火を放って退却、稲倉石の戦いは終わりました。

激戦だったとされていますが実際の戦闘は半日程度で終了、そしてこの後は「館城の戦い」へと続いていきます。

またここには、箱館戦争の戦死者を弔った慰霊碑である「碧血碑(へっけつひ)」が建てられています。

碧血碑
碧血碑

函館山の麓にも、かつて幕府脱走軍幹部だった榎本武揚と大鳥圭介が箱館戦争後の1875年(明治8年)5月に建立した碧血碑がありますが、この碧血碑はまた別で、1919年(大正8年)8月に旧松前藩士の蠣崎知次郎(かきざきともじろう)ほか有志達の手によって建てられたものです。

なお「碧血」という言葉は中国の故事からとられていて、「忠義を貫いて死んだ者の流した血は、三年経てば地中で宝石の碧玉と化す」という意味があります。

元々この碧血碑は稲倉石古戦場址に建てられていましたが、鶉ダム建設に伴って現在地に移設されています。

フォトギャラリー

周辺地図

稲倉石古戦場の住所は「北海道檜山郡厚沢部町峠下」です。

鶉ダムを見学できる場所はパーキングエリアになっているため、車両を止める場所には困りません。(…というよりも、場所が場所だけに車両を使用する以外の手段で行くのは難しいと思います)

国道227号線沿いにありますが、特に目立つ目印などはないので訪れる際は見落とさないように気をつけましょう!(ほぼ一本道で車道幅もそれほど広くないため、一度通り過ぎてしまうとUターンするのが難しいです…)