福島県二本松市にある二本松城に行きました。

二本松城は別名「霞ヶ城」とも呼ばれ、「霞ヶ城公園」として日本さくら名所100選に選定されています。

この記事では、二本松城の写真と概要を紹介します。

歴史と概要

二本松城は、1414年(応永21年)に畠山満泰(はたけやまみつやす)が塩沢の田地ケ岡から白旗ケ峯に居を移し、二本松城としたことが始まりとされています。

少年隊士の群像
少年隊士の群像

上の写真は、戊辰戦争時の少年隊士を表現した群像です。

幕末の1868年(慶応4年)、戊辰戦争の際に二本松藩は奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍と戦いましたが、「白河口の戦い」及び「二本松の戦い」で敗れ、僅か1日の戦闘で落城してしまいました。

このときに13歳から17歳までの少年達も実際に戦い、かなりの死傷者を出したことから「二本松少年隊の悲劇」と言われています。

ちなみに会津藩にも16~17歳の少年達で編成された白虎隊がありますが、白虎隊とは違い、二本松少年隊は一つのまとまった部隊として編成されたものではなく、特に隊の名称はありませんでした。

この像のある場所は、「千人溜(せんにんだめ)」といって藩兵が集合する場所で、少年兵もここからそれぞれの守備地に出陣したそうです。

箕輪門
箕輪門

「千人溜」のところから階段を登ったところにある「箕輪門(みのわもん)」です。

箕輪門は、1982年(昭和57年)に再建されていて、再建費用は2億円(!)だそうです。

洗心亭
洗心亭

洗心亭は二本松城内に設けられた茶室のひとつで「墨絵の御茶屋」と呼ばれていました。

1837年(天保9年)に阿武隈川畔の地蔵河原に移築された事で、戊辰戦争で二本松城が落城しほとんどの建物が焼失した中、奇跡的に生き残ったそうです。

その後1897年(明治30年)に現在地に移築され、2004年(平成16年)に二本松市指定有形文化財に指定されています。

日影の井戸
日影の井戸

この井戸は、「日影(ひかげ)の井戸」と呼ばれている井戸で「日本三井戸」の一つとされています。

建設されたのは応永年間の1400年頃、井戸の深さは16mだそうです。

ちなみに「日本三井戸」の残り二つには、千葉県印西市の「月影(つきかげ)の井」、神奈川県鎌倉市の「星影(ほしかげ)の井」があります。

天守台からの景色
天守台からの景色

天守台からの景色です。

写真撮影した日は天候が悪く見晴らしは良くありませんでしたが、天守台がかなり高い場所にあることは写真から伝わると思います。

日本100名城スタンプ

二本松城は、日本100名城の一つに選定されています。

百名城スタンプ
百名城スタンプ

二本松城の日本100名城スタンプは、二本松城から少し離れた場所にある二本松市歴史資料館に設置してあります。

歴史資料館
歴史資料館

なお、二本松市歴史資料館のすぐ近くには二本松城大手門跡もあるのですが、これが門として残されているわけではないので、注意していないと気づきにくい!

大手門跡
大手門跡

大手門跡を訪れる際は、二本松市歴史資料館を目印にすると分かりやすいと思います。

フォトギャラリー

周辺マップ

二本松城の住所は「福島県二本松市郭内4丁目3-2」です。

最寄り駅は二本松駅で、二本松駅から二本松城までは徒歩で約20分程度となっており、アップダウンのある行程にはなっていますが、十分に電車と徒歩で行くことが可能です。

また、駐車場も比較的広いので、車で行っても問題ありません。