岡山城

岡山県岡山市にある岡山城です。

本段から見た天守閣
本段から見た天守閣

岡山城は、宇喜多秀家が秀吉の指導を受けて築城し、8年の歳月を費やして造られた城です。

完成は慶長2年(1597年)、漆黒の外壁や金色に輝く鯱(しゃち)から、烏城(うじょう)や金烏城(きんうじょう)とも呼ばれています。

城の縄張は基本的には梯郭式(ていかくしき)となっていて、三段の城郭配置が西側に広がる平山城です。

一方、本丸の北から東には郭(くるわ)が無く防備が薄いため、旭川の流路を変更し天然の堀として東側の備えに利用したとされています。

この旭川の流路を変える工事のために、完成まで8年もかかったんだとか…。

岡山城を築城した宇喜多秀家は、関ヶ原の戦いにおいて西軍として参加して敗れ八丈島に島流しとなったため、岡山城の城主として過ごした時間は長くありません。(そのあとの宇喜多秀家と妻の豪姫のエピソードが感動ものなのですが、それはまた別の機会に…)

秀家の次に城主になったのが小早川秀秋。こちらは関ヶ原の戦いの際の寝返りなどあまり良いエピソードはありません…。

小早川秀秋は関ヶ原の戦いから2年後の慶長7年(1602年)に21歳で早世、その後は池田家が岡山城に入り、明治維新まで続きました。

そしてここはいろいろな石垣があります。

中の段の埋没石垣その1
中の段の埋没石垣その1
中の段の埋没石垣その2
中の段の埋没石垣その2

上の2枚の写真は、中の段の埋没石垣です。

中の段は岡山城完成後、江戸時代前期に改修・拡張が行われたのですが、その際に古い石垣が埋められたそうです。

ちなみに古い石垣は宇喜多秀家時代に築かれた石垣です。

本段東側の高石垣
本段東側の高石垣

上の写真、左右で石の積み方が異なっているのが分かります。

宇喜多秀家が築いた石垣に、小早川秀秋が石垣を継ぎ足して改修した跡なのです。

左側が秀家が築いた石垣、右側が秀秋が築いた石垣だそうで、左側が比較的安定性の高い石材を積んでいるのに対して右側は丸みの強い石材を雑に積んでいます。

本段南東の高石垣
本段南東の高石垣

本段南東の高石垣は宇喜多秀家が慶長2年(1597年)までに築いた石垣で、西寄りでは石垣の基盤が3m近くも埋まっていて本来の高さは15.6m、関ヶ原合戦以前の石垣としては、全国屈指の高さだそうです。

小納戸櫓下の石垣
小納戸櫓下の石垣

小納戸櫓下の石垣は池田忠雄が1620年代に築いた石垣です。

後の時代に築かれたためか、他の石垣よりもきれいに積み上げられています。

天守台
天守台

天守台の石垣は色が変色しています。

これは第二次世界大戦中の昭和20年(1945年)6月29日未明の岡山大空襲によるもので、その際に天守閣は焼失し、天守台の石垣も焼けて赤く変色してしまいました。

その後天守閣は鉄筋コンクリートで再建、天守台も一部が修復されたものの今も焼けて変色したままとなっています。

日本100名城スタンプ

岡山城は日本100名城の一つです。

スタンプは天守閣内の入口付近に設置してあります。

日本100名城スタンプ
日本100名城スタンプ

スタンプのデザインは、たぶん岡山後楽園から撮影した風景でしょう。

岡山後楽園の沢の池から見た天守閣
岡山後楽園の沢の池から見た天守閣

フォトギャラリー

周辺マップ

岡山城の住所は「岡山県岡山市北区丸の内2丁目3-1」です。