この記事では、北海道檜山郡厚沢部町にある「館城」を紹介します。

館城は、幕末に築城された日本最期の和式城郭にして、箱館戦争時には松前藩と旧幕府脱走軍との間で戦闘があった場所でもあります。

概要

館城
館城

館城は、築城開始が1868年(明治元年)9月初旬で完成が同年10月25日、そして旧幕府脱走軍が鷲ノ木に上陸し五稜郭を占領したのが同年10月26日なので、まさに幕末維新の激動の真っ只中で建設された城です。

元々館城建設については戦術的な意味があったわけではなく、この辺りの地形は平坦で広々としており稲作が有望であったことから藩の財政を強化する目的での築城でしたが、後には松前城が軍艦の砲撃に弱いことから館城の防御面も重視されるようになっています。

旧幕府脱走軍の五稜郭占領と同時期に、当時松前藩主だった松前徳広(まつまえよしひろ)も居城を松前城から館城に移しますが、同年11月15日の旧幕府軍の攻撃によって落城しました。

館城本丸
館城本丸

館城は石垣がなく土塁と堀があるのみの簡素な造りだった(1~2ヶ月程の突貫工事だったから仕方ない?)のと、守備兵が極端に少なかった(20名ほどだった?)ことから、戦闘自体は短時間で終わったようです。

三上超順力試之石
三上超順力試之石

館城の戦いで戦死した者の中には、三上超順(みかみちょうじゅん)という還俗(げんぞく)した僧もいました。

この還俗僧かなりの豪傑で、この戦いでは右手に大刀、左手に盾代わりのまな板を携えて最期まで戦い抜いたそうです。

五稜郭公園近くにある五稜郭タワー内の展望室に箱館戦争のジオラマがあり、その中に三上超順の戦いぶりを描いたジオラマも展示されているので、興味のある方は一度訪れてみて下さい。(なお、ジオラマは展望2階にあり、展望室入場は有料となっています)

ちなみに上の写真の「三上超順力試之石」には次の伝説があるそうです。

相撲好きの山田某という人が館城内の役所跡をとおる旧道沿いでこの石を見つけ、自宅に持ち帰りました。この石で毎日力試しをしていたところ、奥さんが病気になってしまいました。ある人がいうには「これは館城で戦死した三上超順のたたりだろう」ということでした。そこで、正定寺(厚沢部町館町)というお寺へ預けたところ、奥さんの病気も治り、不幸なことが起こらなくなりました。

引用元:http://donan-museums.jp/archives/3172

なお「三上超順力試之石」は正定寺境内に永らく安置されていましたが、1968年(昭和43年)の館城100周年記念にともなって、正定寺境内から館城跡に石が移されて碑も建てられています。

フォトギャラリー

周辺地図

館城の住所は「北海道檜山郡厚沢部町城丘」です。

館城址入口
館城址入口

上の写真が館城への入口になりますが、注意して見ていないと少々気づきにくいかもしれません。(ちなみに、僕は気づかずに通り過ぎてしまいました…)

下にGoogleマップを載せていますので、訪れる際は参考にして下さい。